オーストリア紀行

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 1984年、チェコスロバキア(当時)に仕事で滞在中、メーデーの休暇を利用して、仕事仲間でオーストリアのザルツブルなどを社用車のマイクロバスを借りてドライブ旅行を行った。若い頃の懐かしい思い出である。私は計画作成に参加しなかったので計画書などのデータが手許になく写真だけしか残らなかった。どこで撮ったのか、地名も良くわからないが捨てるには惜しいので、写真を中心に残すことにした。
ザルツブルグ市

 ザルツブルグは、ドイツ語で塩の城(砦)という意味。
  ザルツブルグ市 (続)

15キロほど南のバート・デュルンベルクで産出される岩塩をハライン 市で製塩し、
大司教から特権を与えられたラウフェンの船乗りたちがハラインからザルツァッハ川を通じてヨーロッパ各地に送っていた。(Wikipedia)
 ザルツブルグ市 (続)

左写真2枚は、ザルツァッハ川を臨む風景。

 右はザルツブルグの大学広場に面する モーツアルトの生家 である。彼が用いたピアノも展示してあった。


 北欧の5月初旬の気候は安定しており晴天が多い。雨が降るとすれば、不思議なことに、夜の間が多いようである。

 冬の、ほとんど晴天を見ないどんよりした気候に比べたら、それこそ天と地の違いがある。春を待ち侘びる気持ちは、我々日本人以上に強いものがあると思う。
 5月に入ると、待っていたかのように木々が一斉に芽吹き、日本だと1,2週間はかかるものが、北欧では2,3日も経てば枯れ木が劇的に若緑色に変身してしまう。すべての木々がそうだから、風景もあっという間に様変わりしてしまう。その変わり身の早さには驚嘆してしまう
花も同じである。

 北欧に旅行するのであれば、この季節がおすすめであろう。
 ザルツブルグ市

同じくザルツァッハ川 
  左は、ザルツブルク市内から、イタリア側のインスブルックを望む風景である。
  我々が泊まったガストハウス。
 ホテルの予約なしで出発したので、直接交渉して決まった宿である。交渉役は私だった。

 宿泊料金は素泊まりで約3000円と安い。シャワーが壊れておりお湯も出ない安宿だったが、寝具はピシっとアイロンが掛けられ清潔で、一流ホテル並みの羽毛の掛け布団であった。

 オーナーは米国出身のご婦人で、ワインを飲み交わしながら夜通し話が弾んだ。

 ここは、
イギリス出身の詩人・小説家・思想家であり、「チャタレイ夫人の恋人」を書いたD.H.ロレンスの夏の定宿だったそうである。彼の足跡を辿って名古屋大学の教授がここに泊まったそうで、名刺を見せてくれた。

 当時は社会主義政権、「勤労者階級を優遇し過ぎで料金も格安に抑えられているので全然儲からないのよ・・」と、縷縷、政府批判を聞かされたのだった。 

  写真2枚は、チロル地方の代表的な田舎の風景。必ず尖塔の高い教会がある。

 家には必ず出窓があり、その出窓には、必ず花のプランターが置いてある。これは、ほとんど例外がないくらい徹底している。
 ブレンナー峠を経由してイタリアに抜けようとしたが、大雪のため通行止めでイタリア行は諦めた。

右の写真は仕事仲間。