五島列島へのたび 2018年6月27日 制作
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 最新ユース 長崎・五島・天草などの「潜伏キリシタン」遺跡が世界遺産に 
長崎・天草「潜伏キリシタン」 世界遺産登録決定 (日経新聞 2018/6/30)

  2018年6月19日~22日にかけ、五島列島への2泊3日のツアーに参加。五島列島の7島を観光しました。梅雨の雨が心配でしたが、2日目以降は天候も回復。スタッフや住民の温かさに触れ印象深い旅になりました。五島の立地と島の特徴を生かした独自の政策を進めていることを、主に、現役公民館館長兼初日ガイドの U さんから教わりました。当初、五島列島は、歴史はあるが最果ての地という印象でしたが今は改めました。

 五島列島は教育に傾注し、生徒の半数が国立大学に進学 という成果も出しています。最近話題の離島留学制度(離島経済新聞)ですが、自然環境を活かして小学校3年生~高校生の不登校児を預かり留学させる独自の「しま留学」制度を2016年からスタートさせました。帰宅後ネットで調べてみたのですが、 五島市の総合戦略は、地元の状況を充分に認識した上で練られた優れた計画だと思いました。

 次に、従来の太陽光・風力発電に加え、最先端技術の洋上風力発電と潮流発電を導入し、レンタカーとして100台のハイブリッド車を島内に配置する 独自のエネルギー政策 を推し進めています。再生可能エネルギーを主力にした「地産地消システム」です。

 また、島の豊かな水産資源を活かした産業振興、たとえば、近大マグロの量産化です。基地が五島市であることを現地で知って驚きました。酪農も盛んです。五島牛は幼牛まで島内で飼育し、全国に販売されているとのこと。エンジニアを島民に優遇招聘する魅力的な施策もあります。島は I ターン、 U ターン を狙っているそうです。私は現役時代はシステム・エンジニアで今78歳ですが、もっと若ければ応募したかも。他にも注目すべき施策が多くあります。

 「日本の将来は良い意味の「田舎」に掛かっていると私は思います。都会が失ってしまった日本的な良さを、田舎はまだ持っていることもその理由の1つです。日本の将来は「偉大なる田舎」が理想だと私は考えています。今回の旅で接した五島列島の政策や住民の皆さんの人情・温かさ・情熱からもこのことを確信しました。

「五島列島へのたび」 ツアーマップ  旅程 を見る
殆どの写真はクリックして拡大できます。 使い方の説明文 を見る  (出典記載のない写真はすべて実写です) 
ツアーレポート
6月19日
長崎空港にかかる箕島大橋を通過する高速バス
 定刻より約30分の遅れで、長崎空港に到着。九州は熊本生まれの私ですが、灯台下暗し・で、長崎空港の利用は生まれて初めてです。

 長崎空港は、長崎市内から相当離れた場所、大村市にあり約40km、大村湾のほぼ中程の、海岸から約2km沖に浮かぶ箕島(みしま)全域を開発することで、1975年5月1日に世界初の海上空港として開業しました。

 空港までは長さ970mの箕島大橋(左写真)で陸地と結ばれています。早速、観光バスに乗り、長崎市内に向かいます。今回の旅の始まりです。

 参加者は募集人員の最低限20名を上回る23名と少なかったです。お蔭でバスの席は1人で2席を利用できるくらい楽ちんでした。

 約40分で長崎市内に到着。当初、予定になかったのですが、長崎市内を観光。

 梅雨の雨の中、傘をさしながら石造二連アーチアーチ橋の眼鏡橋を見ました。 1982年(昭和57年)の長崎大水害では中島川の九つの石橋が被害に遭い、そのほとんどが流失しました.。眼鏡橋は半分程度損壊したものの、幸い、流失.は免れました。

眼鏡橋(長崎市内)

ジェットフォイル「ペガサス号」
写真:九州商船の公式サイトよりお借りしました
ジェットフォイル「ペガサス号」

 長崎港からは超高速のジェットフォイル船で五島列島の福江港(五島市)に向かいます。

ジェットフォイル船は、米国の世界最大の旅客機メーカー・ボーイング社が、15年の歳月と1,000億円を超える開発費を投じて完成させた、世界最高の性能を持つ超高速旅客船です。普通の客船は、早くても 20ノット(時速 約37㎞)ですから、水中翼船方式により最高時速は時速83Kmもあり、文字通り飛ぶように走ります。

 停止時および低速では通常の船と同様、船体の浮力で浮いて航行しますが、速度が上がると翼に揚力が発生し、しだいに船体が浮上し離水、最終的には翼だけで航行するようになります。
 動力はガスタービンで、ウォータージェット推進方式だそうです。福江港までの所要時間は1時間25分です。

新装なった福江港
写真:五島市の公式サイトよりお借りしました
福江港

 福江港に到着しました。相変わらず雨模様でこの先が思いやられます。今は梅雨のシーズンですからしょうがないですね。
 福江港 (Wikipedia)は、下五島列島の表玄関となっており、福江港ターミナルは近代的な装いをしています。

 港からは、これから観光する予定の、標高約300m 「鬼岳」を眺めることができます(後出)。

武家屋敷跡 (車窓より観光)
写真は五島市なび よりお借りしました
武家屋敷跡 五島市なび(写真)

 早速、観光バスに乗り込みます。写真は車窓から見えた武家屋敷跡。搭乗したガイドさんは、リタイア後、公民館々長勤務中のの U 氏。おいおい紹介しますが、ガイド役も適任のようで、まず、自分の名前の読み方を当てたら自分で作った塩をプレゼントするという質問から始まりました。ゆく先々の観光情報、五島市などの歴史、市や五島列島の現状と課題などを要領よく説明、よく分かる説明でした。

 旅行の印象や感銘の深さは、添乗員さん、ガイドさん、運転手さんに依るものが多いと思いますが、今回はすべてのスタッフに恵まれ、印象的な旅になりました。

 U さんは、地域振興活動ののリーダー的存在のようです。地産地消の電力政策、教育活動についても知ることができました。五島は教育レベルが高く、五島高校は進学校として有名で、予備校もないのに、生徒の約半数が国立大学に進学しているそうです。 

鐙瀬(あぶんぜ)ビジターセンターの駐車場
 鐙瀬(あぶんぜ)ビジターセンター

 島内の主産業は、農業、特にたばこの栽培、酪農、漁業です。漁業では、定置網のほか、まき網や船びき網、一本釣等の漁船漁業と、養殖業が営まれています。 2015年 豊田通商と組んで近大マグロを福江島で量産する(日経) ことになりました。島内の湾で円形の養殖生簀を多数見掛けました。

 五島牛は島内で飼育された後、子牛として全国各地に販売されるそうです。神戸牛も元は五島牛だとか。(以上はガイドさんからの情報)

 館内では五島列島の景観・地質・動植物などの自然情報を、音と映像とパネルなどで分かりやすく紹介しています。

 鐙瀬海岸の溶岩、ハワイの溶岩のようにサラサラと流れる粘度の低いものです。同じ長崎・雲仙岳の盛り上がるような粘度の高い溶岩とは大きく違います。恐らく両者は別の火山系に属しているものと思われます。

鐙瀬(あぶんぜ)ビジターセンター から海側を望む。
 以下の文は、 五島市観光協会公式サイト からの引用です。

 鐙瀬ビジターセンターには遊歩道があり、溶岩海岸と亜熱帯植物を見学しながら散歩できる一本道です。溶岩海岸(下の写真)とは、鬼岳から火山時代に噴出した溶岩が海岸へ流れ込み、海水によって一気に冷却されたもので、黒い岩肌の珍しい景観を呈しています。岩の形も変化に富んでおり、波打ち際は7kmに渡り対馬暖流の影響で海岸一帯が亜熱帯の植物が多く見られます。 遊歩道は1.2kmと、散歩にちょうどいい距離。亜熱帯植物に囲まれていながら、海が目の前にあるため、潮の香りを感じながらの散歩が楽しめます。


鐙瀬熔岩海岸 (あぶんぜようがんかいがん)
写真は ながさき旅ネット よりお借りしました
鐙瀬熔岩海岸 以下の文は、 ながさき旅ネット からの引用

 鬼岳火山から流出した溶岩により覆われた海岸で、約 7km にわたり広がっています。
ここは年中温暖で、亜熱帯植物が繁殖し、情熱的な花木が咲き乱れ美しい景観を呈しています。

 永正四年(1507年)、16代領主囲公が妹婿玉浦納の反逆にあい、馬で逃れたがこの地で鐙(あぶみ)が切れ、漁船で黒島に落ち延びたものの、反逆党が追ってきたため自刃したそうです。以来この地を鐙瀬(あぶんぜ)と呼ぶようになったと伝えられています。(ガイドさん)

 奥に見える小高い丘が五島の象徴、鬼岳です。

鬼岳 (おにだけ)
写真は ながさき旅ネット よりお借りしました
鬼岳 (おにだけ)

 五島のシンボル「鬼岳」。標高315m、全面が草に覆われ、その名とは裏腹に美しい流線形を描く火山です。尾根伝いのトレッキングでは眼下に福江の市街地や遠くは上五島が望めるそうです。そして、ウォーキングには最適だそうです。 
 不定期で行われる野焼きにより樹木がなく、草原だけの噴火口です。Google の衛星写真では丸い噴火口が見えます。時期は不定期、ですが、2010年は2月28日に野焼きが行われたそうです、ちなみに、この日は私の誕生日。2016年は2月13日、3年ぶりに行われました。

  ガイドの U さんから教えてもらった近大マグロの生簀を途中で発見、車窓から撮影(右写真)。   
近大マグロの生簀(いけす)(日経
   
不定期で行われる鬼岳の野焼き
写真は ががさき旅ネット よりお借りしました 

五島コンカナ王国
写真は 五島しま旅ネットト よりお借りしました
 五島コンカナ王国 到着

 強い雨脚の中、バスは初日の宿に到着しました、ワインの醸造所にロッジが点在している感じのホテルでした。

 お楽しみの夕食は、地美恵会席という名前の五島牛(40g)つき御膳でした。
 
 
夕食のお品書き
6月20日
雨にけぶる大瀬崎灯台

 ガイドさんによれば、大瀬崎周辺は渡り鳥の渡りの中継地で、秋には繁殖を終えたハチクマの殆どが五島列島を通過して中国大陸へ渡るそうです。大瀬崎では9月中旬から10月上旬にかけて約1万羽、多い日には1日で約1500羽ものハチクマが上空を通過します。多くの野鳥ファンが全国からここに集まるそうです。
 
魚を狙って降下寸前のハチクマ (多分)
有川港にて実写(6月21日

夜の大瀬崎灯台
写真は Wikipedia よりお借りしました
 
夜晴れた日の大瀬崎頂戴
写真は Wikipedia よりお借りしました 
 第2日目

 大瀬崎灯台


 朝8時にホテルを出て、今日最初の目的地、大瀬崎灯台にバスで向かいます。灯台の展望台に到着したときも 雨。雨にけぶる灯台もやっと捉えることができました。他のサイトの写真をお借りして見栄えのする写真を上に掲載しておきました。

 大瀬崎の断崖に建てられた灯台。規模は大型で、日本屈指の光達距離を誇っています。東シナ海を航海する船舶の道しるべとなっています。『日本の灯台50選』の一つで、五島列島を代表する観光の名所です。

 五島列島は昔より中国とを結ぶ航海の要衝で、640年頃から始まった遣唐使派遣の基地、あるいは、風待ち港ともなりました。また、漁業基地としても昭和初期までは重要な地位を確保していました。着工は1876年(明治9年)で、イギリス人のR・プラトンの設計といわれます。

 大瀬崎の山頂にある無線電信所は、日露戦争の日本海海戦の端緒ともなりました。日本海海戦の「敵艦見ゆ」の第一報を受信した場所でもあり、電波山とも呼ばれました。

 また太平洋戦争時には、出征した多くの将兵達が大瀬崎を日本の地の見納めとしたことから、1978年(昭和53年)には灯台を見下ろす大瀬山に鎮魂碑と北村西望作の「祈りの女神像」が建てられました。

 現代では、ディファレンシャルGPS局が設置されており、船舶に搭載されているGPSを高精度に補正する電波と、電文で気象通報を配信していて、相変わらず重要拠点です。

大瀬崎灯台 (拡大)
井持浦教会ルルド  井持浦教会ルルド

以下の文は 五島市ナビからの引用です。


 大村藩からキリシタンがここに移住・潜伏し、五島藩の指示により塩造りの竈場(かまば)で働いたという場所です。
 1897年建立のレンガ造教会が台風で倒壊し、1988年にコンクリート造の現教会となりました。
資料館にはレンガを運ぶ信徒たちの写真なども収められています。

 1865年の大浦天主堂での信徒発見の7年前、フランスのルルドで聖母出現があったそうです。当時の五島列島司牧の責任者ペルー神父は、1891年、バチカンにこのルルドの洞窟が再現されたと聞き、五島の信徒に呼びかけて各地の石を集め、1899年、日本で最初のルルドを作りました。

 フランス南部の寒村ルルドで起きた難病を治癒するルルドの泉の奇跡にちなんでこの教会の名前がつけられました。「奇跡を起こす」泉もマリア様の像とともにここにあります。
 
五島のルルドの泉  Gigazineサイト

高浜ビーチ
 高浜ビーチ

 ようやく雨が止みました。

 お陰様で、高浜海水浴場の美しい光景を撮影することができました。日本の渚百選日本の道百選日本の水浴場88選の地に選定されています。リンク先はいずれも Wikipedia です。

遣唐使ふるさと館
 遣唐使ふるさと館 (道の駅)

 お昼前に到着、ここで「五島豚のしゃぶしゃぶ御膳と鬼鯖寿司」の豪華な昼食を頂きました。

 ここ五島は遣唐使船の最後の寄港地・風待港でした。本館では、遣唐使についての資料などの展示をおこなっています。最澄と空海は、仏教を学ぶために第14次遣唐使団803年(延暦22年)に加わりました。命がけの渡航だったと言われます。
 
 昼食前に五島列島酒造という五島産の麦と芋を使った焼酎の醸造所を見学、試飲付きです。親戚に「焼酎コレクター」がいるので、お土産に麦・芋・つばき焼酎を各1本宅急便で送りました。

 昼食はここで頂く。何と、五島豚のしゃぶしゃぶ御膳と鬼鯖寿司(左写真)、五島で有名なかんころ餅つき(個人的な事情によりこれは敬遠しました)の超豪華版です。これを理由にして、いつもは飲まないビールまで注文してしまいました。今回の旅行は毎昼食毎にビールを頂くというクセがついてしまい、うれしい「のみ旅」になってしまった次第。

 ガイドの U さんによると、五島列島では重要施策として、自然エネルギーの活用を進めています。太陽光・風力は当然として、最近では海上風力発電・潮力発電にも力を入れています。後者の2方式は最新の技術なので、力の入れようが伺えます。

 2010年に策定された長崎県の「長崎EV&ITSプロジェクト」では五島列島において「スマートコミュニティ」を実現するという目標を掲げています。電力会社と協力して、上記の各方式の発電施設を総合的に組み合わせて、自然エネルギーを利用した地産地消的政策を総合的押し進めようとする壮大な計画です。

 このような先進的な政策を掲げていることに感銘を受けました。日本の将来のためにもぜひ成功させてほしいです。

 
超豪華な昼食

遣唐使ふるさと館に隣接する太陽・風力発電施設

今回貸し切った海上タクシー
 海上タクシー(チャーター船)にて上五島観光

 昼食後は福江港に移動し、チャーター船で上五島町の観光に向かいます。ガイドの U さんとは福江港でお別れしました。写真は今回乗船した高速船です。
 久賀島上陸前に船から動画を撮ってみたのでご紹介します。船はジェットフォイル船ではありませんが、非常に高速で後部デッキに座っていても波しぶきが強く、怖いほどでした。
 
「上五島高速クルージング」 

旧五輪教会
  旧五輪教会  五島の島たび サイトより引用しました)

  チャーター船は久賀島の五輪港に到着、天気は快晴に変わりました。これから旧五輪教会まで片道約 400m を徒歩移動します。当協会は有力な世界遺産候補地になっています。

 本教会は、五輪地区の信仰のよりどころとしての役目を果たしてきました。昭和60(1985)年、古い建物を解体して、教会を新築する話が持ち上がりました。しかし 「貴重な文化財として価値ある建造物を何とか守ろう」という関係者の熱意と地元信徒の協力により、解体の危機を乗り越えて当初の姿で保存されることになりました。

 以下は、現時点の 世界遺産候補地 です。

 ① 江上天主堂(奈留島)
 ② 旧五輪教会堂(久賀島) この写真の教会です
 ③ 頭ヶ島天主堂(上五島)
 ④ 野首舟森集落跡(上五島)

前島のトンボロ
 前島のトンボロ 五島のたびサイトより引用

 旧五輪教会を見た後、再び、チャーター船に乗船して別の目的地に移動します。その途中、有名なトンボロを遠望することができました。通りかかった時は満潮時だったようで、トンボロは途中で切れていました。天橋立と同じ理屈で出来上がる砂浜だそうです。遠すぎて撮影できなかったので写真は別サイトからお借りしました。

 前島と末津島はトンボロと呼ばれる帯状の浜でつながっています。満潮になれば途切れ、干潮時には前島と末津島が陸続きになります。

海底ケーブル 松島奈良尾線 電力系統図
図は 東芝レビュー より引用させて頂きました
 海底電力ケーブル「松島奈良尾線(2回線)

 さらに乗船中、以前から気にかけていた長崎と五島を結ぶ海底電力ケーブル「松島奈良尾線」の上陸地点を偶然発見しました。若松港に入港する前の中通島・丸瀬鼻接続所という地点が上陸地点です。

 九州電力による五島列島と長崎の松島間を結ぶこの海底電力ケーブルにより、旧来の島内水力・火力発電所は廃止・休止されました。

 ケーブルは2本敷設され、それぞれ松島側の2方面(別の発電系統)とつながっています。送電側の事故も想定しているのでしょう。費用はかかりますが、常識的な設備です。電力は、病院など、命を預かるライフラインですから、保安対策は必須です。

 当初、人口の多い福江島に上陸するのだろうと思っていたのですが、最短距離の奈良尾島で上陸していたのです。ただ、撮影ができなかったのは残念です。個人的に興味があるのでここに記録しておくことにしました。

海底ケーブル敷設船
 
今回使われた
特殊ケーブル
 左の船は海底ケーブルを敷設するための特殊な専用船です。

 海底ケーブル「松島奈良尾線」にもこのような専用船が使われたはずです。
 
 左のケーブルは、世界最長クラスの66kV 海底XLPEケーブル線路 (53km) で、2005年に敷設が終わり、送電系全体の運転を開始しました。

江上天主堂
 江上天主堂

 チャーター船は奈留島の江上港に入港して次は江上天主堂に向かいます。教会は森の中に隠れるようにして立っていました。約束の時刻14時30分前に着いたらしく、入口のドアは閉まっており、神父さんも居ません。やむなく建物を見ただけで帰路につくと、路上で神父さんに出会い、改めて教会内に入ることができました。

 江上天主堂は、江戸時代末期に大村藩領から移住してきた潜伏キリシタンの4家族が、明治14(1881)年3月に洗礼を受けたことに始まります。漁民が多いのできびなごなどの漁の売上の寄付金で建築が進んだと言われます。

キリシタン洞窟
 キリシタン洞窟 ながさき旅ネット から引用させて頂きました

 船は今日の終点、若松港に向かいますが、途中、船上からキリシタン洞窟とキリスト像を見ることができました。

 若松島の里ノ浦のキリシタンは、明治初めの五島崩れの際、迫害を避けて船でしか行けない険しい断崖の洞窟に隠れたが、焚き火の煙を船に見つけられて捕縛され拷問を受けた。 この洞窟は後にキリシタンワンドとよばれ、1967年入口に十字架と3mのキリスト像が設けられた。

若松大橋
 若松大橋 (ながさき旅ネット )

 若松大橋の撮影ポイントは陸上と海上の2つありました。現在、橋の中央部が補修中でした。沢山の写真の中から、チャーター船から撮ったこの写真を選定。

 若松大橋は、中通島と若松島を結ぶ全長 500m あまりの巨大なトラス橋です。まわりの景色にマッチした美しい橋だと思いました。ガイドさん(後出)の話だと、潮流次第では渦潮も観測できるそうです。

 船は若松港に着岸。はしけには、ガイドさん・ドライバーと、これから乗るバスが待機していました。船上からの観光はこれで終わり、再びバス観光となりますが、搭乗するガイドさんが素晴らしい方で、今まで会ったガイドさんの中でも最高のガイドさんでした。

ホテルマリンピア
 ホテルマリンピア   今日泊まった ホテルは小さなホテルですが、お楽しみの今日の食事はとても美味しかったです。メニューは以下の「イセエビ付会席」です。

イセエビ刺身(3切・20g)・刺身3品・牛陶板焼き・一口あわび白ソースかけ・五島うどん・イカしゃぶしゃぶ・鯨のお造り・サザエ御飯・イセエビ味噌汁・デザート

 私は毎食ビールを嗜みますが、今日の料理はどちらかといえばお酒のつまみに適した料理が多かった印象。大型のイセエビ刺し身、鯨の刺し身、五島牛のステーキなどは特に珍味。お蔭でビールをお代わり。今回の旅行中は昼食も豪華版だったので昼からビールを注文、お陰様で大名旅行になりました。

 上五島は物価が安いのか、中生ビールと、グラスビールの2本を頂いたのですが、朝、精算してみると900円でした。これまで泊まった宿の中では最安値でした。また、山口県に泊まった2軒の豪華ホテルとも生ビールを置いてなかったのですが、五島ではどこでも飲めるようです。
  
「イセエビつき会席」
  
大型イセエビの刺し身
6月21日
青砂ヶ浦教会
 青砂ヶ浦教会 (Wikipediaを引用しています)

 早朝、7時55分にホテルを出発、海水浴場の蛤浜ビーチに寄り、すぐ青砂ヶ浦教会に向かいます。

 島内のほとんどの教会は鉄川与助が建てたそうです。ここは彼の建てた3つ目の教会堂。本人は外国に行ったことはないそうです(ガイドさん)。

 昨日の若松港から同乗しているガイドさん(独身の女性)は天下一品のベテランで、常時、私達を笑いの渦に巻き込んでくれました。教会に到着する前に、道の途中にある教会のそばにこじんまりした港がり、そこで、何と「私はあの作業用の船で生まれ育った」と言い出したのです。昔の青島ではあるまいし、船を生活の場にしていたという話は嘘だと思いましたが、話術がうまく、最初は信じそうになってしまいました。

塩を煮詰める平釜
  矢堅目(やがため)の駅

 道の駅に到着。ここでは塩の製造と販売を行っています。昔は専売だった塩が自由化され、塩の製造が一気に拡散しました。駅の目の前には、となりのトトロを感じさせる矢堅崎がそびえていました。ここには公園と見晴らしの良い展望所があるそうです。

 また、バスの話に戻りますが、途中、私にとっては感動的な事があったので書きます。ちょうど通勤時間帯だったのですが、我々のバスの運転手さんは、道幅の広い場所に来ると停車して通勤用の後続車に道を譲っていたのです。少なくとも5回位あったでしょうか。先方は急いでいるだろうから・・という思い遣りであることはすぐに分かりました。何と、譲られた方も必ずハザードランプを点滅させ、お礼を述べていました。お互いに島内の知り合いだとは思いますが心温まる出来事でした。
 
 ガイドさんも知り合いの車と出会うとにっこり笑って手を振り、相手も笑顔で挨拶を返してきます。住民の心の温かさや思い遣りを感じます。

 都会では停車して道を譲ることはまずしないし、もしこれをやったら会社は禁止させるでしょう。しかし、島内では当たり前のことのように思われました。

 私は、日本の将来にとり、このようなことが異常にならないような社会を実現したいものだと感じました。
 
矢堅崎(やがたざき)

頭ヶ島大橋
 頭ヶ島大橋 トリップアドバイザーサイト
 
  頭ヶ島天主堂 に行くためには、一旦、上五島空港跡まで行き、指定の公営バスに乗り換えて現地に向かいます。

 この途中で、この頭が島大橋を通過します。急に出現するので要注意です。途中居眠りしていたので、帰路、慎重に撮影しました。アーチ部分が真っ赤なので目立ちます。

上五島空港 (現在は廃港)
 上五島空港 (現在は廃港)

 上五島空港は、赤字が堆積して遂に廃港になったと聞きました。人口が減ったことも大きな理由の1つでしょう。少子高齢化だけが注目されますが、人口減少減少の理由はそれほど単純なものではありません。

 五島列島の人口データ推移を調べてみました(Wikipedia)。
中長期的にも減少することはやむを得ないと思いますが、減少をどの程度減らすかが緊急の課題でしょう。

 五島市  1950年
9万
 2000年
48,533
 2015年
37,372
 上五島町 1960年
56,784
 2000年
27,559
 2015
19,597

頭ヶ島天主堂
 頭ヶ島天主堂 (Wikipedia)


キリシタン墓地
 頭ヶ島教会は、世界遺産の候補としてリストアップされており、五島列島最東端で幕末までは無人島であった頭ヶ島に建てられた小規模な教会。西日本唯一、日本全国でも珍しい石造の教会堂であり、その意匠も優れている。鉄川与助の設計・施工、大崎八重神父の指導により島内の石を切り出し、積み上げて建設された。 (引用 Wikipedia)

祈りの竜馬像 


海童神社
  少子高齢化・過疎化問題とまとめ

 全国的に人口が減ってきています。いわゆる少子高齢化・過疎化問題です。今日、先のベテラン・ガイドさんが過疎化問題に迫る話をしてくれました。

 「五島にはスタバもないし、ユニクロもない。若い人は長崎で買い物することを誇りに思っている。例えば、同じブランドのTシャツであっても、これは長崎で買ったとよ・・と誇らしげに見せるのですよ」。

 都会の文化に憧れることは若い人にとっては当たり前のことだと私は思います。私の高校時代、うちは君たちより随分東京に近かぞ・・と自慢した覚えがあります。

 ならば、島から出ることを認めた上で、時期が来れば、島に戻って来たいと思わせるような環境整備や施策を巡らせることが良策と思われます。

 五島市のホームページ を見ると、いたずらに国の政策に依存することなく、自前の長期展望に基づく政策を既に推進しているように見受けられます。島の出身者に限らず、技術者を優遇して島民として居住する政策も推進中。

 地方ごとに状況は違うわけで、日本全体が同じ政策を進めることは愚策です。独自の将来を描いている県も少数ですが他にありますが、五島列島を見習うべきところも多いのではないでしょうか?これからの日本は地方(田舎)が担うと私は信じています。

 五島市では、「しま留学 (alternaxs サイト) という、不登校児を受け入れる政策を2016年から進めています。最初のガイド U さんから、高校でも同制度を実施、という話を伺いました。長崎県の同意が必要でしょうから、県のホームページをアクセスしたら、「高校生の離島留学制度(県の制度)」として今年度からスタートするそうです。今年は試験的な体験留学方式になるようです。

 島外から小学校3年生から中学校3年生の児童・生徒を1年間受け入れて、教育を行うもの。島全体の活性化が目的だ。(中略)


 現代の日本社会は、情報が溢れており、都会での生活に疲弊してしまう子どもたちも多いだろう。沢山の人々に紛れてしまい自分を見失ってしまうこともあるだろう。 離島の自然に触れ、地域の人々や友達の温かさに触れることのできるしま留学は、そのような子どもたちへの新たな教育の手段になるのではないだろうか。 

 実施にあたっては相当な努力が必要かと思いますが、喝采を送ると同時にぜひ成功して欲しいと思います。不登校は日本の教育界の課題でもあるのです。この問題の本質を突かないで、この政策を批判するだけでは問題は解決しないでしょう。

 まとめ

 バスの車窓から見た、教会の広場で遊ぶ子ども達の笑顔や歓声が私の記憶に残っています。屈託のない子供らしい笑顔と歓声でした。これからのことは、この子どもたちが決め選ぶのですが、五島の将来を明るいのではないかという気がしました。 先のガイドさんの見立てでは、「単に、他所から来たお客さんが乗ったこのバスを意識しているだけですよ・」と謙遜しますが、私は違った印象を持ちました。
 
 日本の将来を憂う私は、3人の孫や若者達の展望が開けるような社会を願っています。都会で目に余るような子供がいると、本人のためだと思いしっかりと叱ります。自分の孫たちにも、嘘はつくな、挨拶は大きな声で相手の目を見て挨拶するのだよ、親とはいつも学校や友達のことを話したり相談をしようね、「報連相」だよ・と繰り返し教えます。孫が反抗期に入っても、報連相がより必要であると私は思います。親には、子供がいつでも話せるような雰囲気作り、そして、子供たちが「早くウチのごはんを食べたいな」と思うような、良い食事を食べさせて・と頼んでいます。ついでに、あらゆる指導者にも言いたいことですが "へっぱ" (五島弁、うそ) だけはやめて欲しいものです。

 そしてこのガイドさんとはここでお別れです。彼女は独身で、今度合うときは名前が変わっているかも・と言いつつ、泣きながら(多分演技)お別れの挨拶をしました。本人が涙をこぼすのではないかと思う程の名演技でした。お客さんの誰かが「今度、吉本に紹介してあげたい」と褒めるくらい、これほど自在に笑いが取れ、人を引きつけ、演技力のある名ガイドさんに会えたのはラッキーでした。

 バスなどで見た限りでは、島内の町に「シャッター通り」を見かけることはありませんでした。個々の住宅も小奇麗に手入れがなされていて、他の地方に比べて、経済的にもある程度の余裕が感じられました。

 おしなべて、五島列島の将来は明るいと言うべきでしょう。ぜひ、うまく行って欲しいと思います。以上が今回の旅行の印・まとめです。
 
 
割烹 扇寿 (6月21日の昼食を食べた場所) 
 
五島うどん  
 今日の昼食は五島うどん

 有川港の近くに、割烹 扇寿 というお店があり、ここで、五島うどん地獄炊きと、海鮮丼、茶碗蒸しなどの豪華な昼食を頂きました茶碗蒸しは丼椀程度の超大型でした。海鮮丼が皆さんには評判がよろしかったようです。

 当然のようにビールも注文し、これにて私の「飲み旅」も無事終了しました。めでたしめでたしという訳です
 鯨賓館ミュージアム 長崎たびネット

 ここは上五島町・中通島・有川港内です。

 鯨賓館ミュージアムでは、ミンク鯨の骨格標本や実物大模型の展示のほか、江戸時代から近代に至る鯨業の歴史などを、パネルや映像で紹介しています。

 右下の動画は、シークイーン号の出港風景を撮影したものです。


鯨賓館ミュージアム

  
「シークイーン号にて佐世保港に出港」 

佐世保港
 佐世保港

 佐世保港からは、大村湾を右回りの回りながら長崎空港に向かいます。途中、和泉屋というカステラの店に寄って試食と買い物をしました。

 初訪問だったので何もかも珍しいものばかり、米軍基地、海上自衛隊の基地もあります。添乗員さんが、目ざとくイージス艦と潜水艦(自衛隊でしょう)を発見して教えてくれました。

 港の近くにハウステンボスがあることも知りませんでした。そのうちに、「変なホテル」に泊まってここを訪問したいところです。

長崎空港 (googleより)
 長崎空港 (googleより)

 長崎空港が世界初の海上飛行場であることを明確に示す写真を探していたのですが、Google さんの衛星写真がもっとも適していると思い掲載しました。

 1990年9月2日、今は廃機となってしまったフランスのコンコルドがこの長崎空港に飛来したことを私はよく覚えています。長さ970mの箕島大橋もはっきりと写されています。
長崎角煮まんじゅう
長崎角煮まぶし
長崎土産(岩崎本舗)
 長崎のお土産は、孫たちが好きな岩崎本舗の左の写真にすると、旅行前に決めてありました。なかなかゲットできないという話も聞いていたので、長崎空港の2階にあるショッピングセンターで販売していることを確認してあります。

 最近、旅行先で買うお土産は、自宅用を差し置いて孫用であることが多いです。


(完)
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