JR1MRI の無線設備(シャック) 2,002年11月青葉町の自宅2階で撮影
(カーソルを乗せた部分をズームアップできます)
 
生い立ち

私の趣味のひとつ 「ハム(アマチュア無線)」 との付き合いは結構長く、20台はじめの学生時代から始まります。大学の「通信工学科」でした。
小さい頃からキカイとか精密機械(時計など)、工作が好きで、何かと手作りしていました。置き時計が実家にはいっぱいあり、5~6才の頃でしょうか」、これらの時計を分解することに夢中になりました。5台位分解したそうです。分解はできるけど、再組み立てまで考えていなかったので、これらの時計は結局ゴミになってしまいました。

普通でしたらこっぴどく怒られたことでしょうが、うちの親はなぜか怒らず、「小さい子供がよくここまで分解できた」(!?)・・・と、逆に褒めてくれました。

通信工学の主なテーマの一つが「自動制御」であることは入学してから知りました。実際は「通信」とはあまり関係がなく、学んだ内容は、近代科学の成果の一つであるフィードバック理論をベースにした制御工学の印象が強かったですね。

この大学を選んだのは、実は、田舎の高校時代から憧れていた「秋葉原」がすぐ近くにある・・ということです。

高校時代

高校時代は文化部の「物理班」に所属し、文化祭で模型のバスを無線コントロールしようと考え、リレーとか真空管などの部品を調達する必要に迫られました。科学雑誌の広告を頼りに部品を探すのですが、お店がほとんど秋葉原にあることに気が付きました。ネットショッピンなどは当然無く、その頃、東京で学生をやっていた兄に頼んで秋葉原で買って送ってもらうという方法で部品を取り寄せる日が続きました。欲しい部品が入手できなくて、結局、文化祭の試みは不首尾でした。

大学時代

この頃から、秋葉原は私にとって憧れてやまない聖地になりました。

アキバには本当に日参しました。隅から隅までいつも歩き廻っていたので、アキバに関しては知らないことはないというほどになりました。でもこの業界は日進月歩で、アキバも頻繁に姿・形・業容を変えてきています。昔はなかった「ご主人様・・・」や「フィギュア」はそれとは無関係でしょうが、真空管の時代から、トランジスタ時代となり、今はICやマイコンの時代です。

今でも、ときどきアキバを訪れますが、ラジオデパートやラジオストアに当然足が向きます。IC部品に並んで、昔もあった抵抗やコンデンサーの部品を売っているのを見ると、なんだかホッとします。

アマチュア無線の世界に入ったのもこの頃で、アルバイトで貯めた貯金で、ハム用の送信機・受信機などをセットで買い、50MHZ用のダイポール・アンテナで必死に通信に励んでいたものです。

50MHZもできるトリオの「9R59」シリーズでセットを揃えました。送信出力10Wでした。最初は電話級の免許を取得しましたが、その後、2級免許を取り、現在に至っています。1アマもそのうちに挑戦したいですね。

会社現役時代

卒業後、給料が他の業界に比べて高いのが主な理由で大手化学会社に入り、そこで「計測制御」を担当する「計装課」に配属されました。ここの仕事はフィードバック理論をバックボーンにする自動制御理論を駆使する装置やシステムをいじることでした。

ここで始めて大学の専攻と仕事内容が噛み合ったわけです。



ハムを始めたときから、世界中のアマチュア無線家と音声で通信することだけを考えていました。上の2つの地図は、そういう意味で掲載しました。日本人が不得意な「ワールドワイドでものを考え、行動する」という考え方を実践しようと思ったのです。

仕事に就いてから、海外にも出掛ける機会が結構あり、「アイコンタクト(無線だけではなく、直接、ミーテイングをすること)」することでいろいろな経験をすることが出来ました。

仕事を通じて、「多様な価値観が存在する」ということを貴重な経験から学ぶことも出来ました。欧米の連中と付き合ってみて、

・体力差が極めて大きい。(食べているものが違っていた)

・「ものごとを俯瞰して大局的に捉える」文化というか能力がある。
これは、「神の目で世界を天から見る」ということかも知れない。

・キリスト教が生活面・文化面において根底をなしている(人が多い。

・価値観が根本的に異なることが多い。
例えば、日本では「働かざるもの食うべからず」「楽あれば苦あり、苦あれば楽あり」といったことわざから分かるように、労働は美徳であるが、欧米では、労働は神がイブを手始めに、人間に与えたもうた「罰」であって、むしろ嫌々ながら、しょうがないからするという考えが当たり前である。

この価値観の違いのために、私は、仕事上、死ぬような目にあったことがある。

私のハム史

学生時代、ハムを始めた頃のコールサインは JA6CAW/1 だった。仕事の現役時代は、仕事が最優先で、結局、ハムをやるには至らなかった。
2000年頃、水俣に仕事で駐在した時から、太陽黒点がピークを迎え、海外との交信に適した状況になったことから、長い休局期間を終え、JA6HHK で開局した。

仕事は定時に退社できる状況だったので、会社の了解を得て、4階鉄筋建ての寮の屋上に、佐賀電子の小さいアンテナを設置し、盛んに海外との交信を行った。

海外との通信を、長距離通信(DX)というが、米国のアマチュア無線協会ARRLが発行しているDXCCという賞がある。海外のカントリー(必ずしも国ではなく)もっと細分化されている}と100以上更新し、その証拠となるQSLを集めて申請すると賞状がもらえる。DXCCはクラブなので、自動的にそのメンバーになれるというわけである。

DXCCはハムの目標の一つで、私にとってもぜひ、取りたい賞であった。
現在、約200カントリーを稼いだが、これは」、全世界のカントリー数の半分以下であって、最終目標まで道はまだ遥か先である。

リタイアして現在の千葉市中央区に戻ってからは,JR1MRI 局を開局した。2エレメントのHB9CVアンテナを屋根に取り付けたルーフタワーに搭載して、同じように、海外との交信をほそぼそと行った。

というのも、今の居所は、電波の通りが悪く、テレビも当時は視聴困難地域であった。入居当時からケーブルテレビでしか受信できないような状況だったのである。ハム」の電波も基本的にはテレビ電波(VHF電波帯)と同じようなものだったから、世界との交信もままならない環境にあった。

妻や娘から、「みっともないし、雷さまを集めるだろうから、近所迷惑だし早く撤去しなさい」との矢の催促無視できなくなり、ついに、今度も有償で業者に撤去してもらった。
それ以来ハムは休局状態である。

このようなストーリーを写真付きで以下にまとめてみた。

アマチュア無線技師・免許証

私とアマチュア無線(ハム)

学生時代の私。若いね・・・

シャックは、トリオの 9R59 という高価な送信機+受信機+スピーカーのセットである。
これで、返還前・沖縄の米軍基地内ハムとの交信がDX通信の最初の経験であった。
その時は、何を喋ったかよく覚えていないほどの大興奮状態だったことだけは覚えている。




水俣市紫水寮で開局


紫水寮のシャック


屋上に設置したアンテナ
水俣市の独身寮「紫水寮」でのハム生活状況。小さいアンテナで200カントリー以上稼いだ。4階建ての鉄筋ビルでアンテナ高さが14mと高く、すぐ横が海だったことが幸いしたようだ。相手先にアンテナのことを言うと驚くハムが結構いた。

QSLカードは水俣市役所から借用した写真を使っている。


JA6HHKの局ライセンス



ログブック(交信記録簿)

QSLカード
私とアマチュア無線(ハム)
千葉市中央区青葉町の現住所で開局


ルーフアンテナの撤去(2005年10月9日)
































JR1MRI局ライセンス

QSLカード:これも千葉市役所から写真を拝借


DXCC


DXCCクラブ会員証(バッジ)




















DXCCアワード賞状(100カントリ-)

 
 
私とアマチュア無線(ハム)