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 みちのく最果て旅行
(2014年8月)
 陸奥、下北・津軽・男鹿の3半島を巡るツアーに参加 齢74にして何処も初体験の地だ
同じ国ながら いささか異なる風景と文化圏を体験することができた

 
8月29日
第1日目
 小学校などに通う孫達の夏休みも終盤に差し掛かった2014年8月29日の早朝8時20分、羽田空港を離陸したjal 1225便は1時間位で三沢空港に無事着陸した。機内はほぼ満席状態だった。

 三沢空港のロビーには外人が目につく、「そうだ、三沢空港には米軍基地があった」ことに気がついた。日本国内には沖縄県37ヶ所、北海道の18ヶ所、長崎県の13ヶ所、東京の7ヶ所を含めて、137ヶ所もあるのだ。それにしても基地が多い。戦後はまだ終わっておらず、まだ占領状態のようである。


 後で聞いたが、三沢市の人口の「6人に1人は米軍の軍人・軍属」だそうだ。

 最初の観光地は「恐山」であった。地元は晴れときどき曇りだったが、恐山は山奥にあるので、雨模様だった。先入観もあるのか、最初は何だか陰鬱な雰囲気がした。立派なお寺があり、ここで先祖の霊を守ってくれているのだろう。

 奥に向かって岩だらけの丘がある。所々から蒸気が立っている。硫黄の匂いが鼻につく。

 イタコが常時居るのかと思ってきたが、イタコも数が少なくなり、今では、何でも2人しかいないそうだ。イタコが先祖などの霊を呼び寄せてくれる催しは、年に1,2回しかないようである。

 恐山は日本3大霊場(比叡山・高野山・恐山)の一つである。しばらく居ると、それにふさわしく、荒涼とした光景の中にも、凛とした雰囲気を感じたような気がした。

 霊場らしく、6体の大きな石仏像が立ち並んでいた。

 青森県の特産といえば、うに・ホタテ・あわび・マグロなどの海産物、りんご・ごぼう・にんにく・長芋などの農産品があるが、バスで三沢市の道路を移動中、特に目についたのが長いも畑だった。支柱に長芋のつるが巻き付いている畑だからよく目立ったのだろう。
 マグロの大間崎に到着した。大間の小さい村落はマグロ一色である。北海道に最も近い半島であったが、対岸は霞んでおりよく見えなかった。

 小さい土産物屋で、酒の肴として、いつものカツオの酒盗ではなくてマグロの酒盗を買った。一応、小さい店の店番のばあちゃんと値段交渉をしては見たが、商魂だけはたくましく、値下げ交渉は失敗。
 これまでは、酒盗といえばカツオとばかり思っていた。これはなかなかの珍味であった。味付けはやや甘みがありコクもあって旨い。、

 「本州のてっぺんの駅」という触れ込みの大湊線に乗る。ここは始発駅の大湊駅である。
タワーの根本には、赤い実をつけたハマナスが植えてあった。「知床旅情」の歌にも出てくるハマナスであるが、初めてその赤い実を見た。


バラの一種で、「ハマナス」の名は、浜(海岸の砂地)に生え、果実が梨こ似た形をしていることから「ハマナシ」という名が付けられ、それが訛ったものである。なす(茄子)に由来するものではない。 

 Wikimedia Foundation
ハマナスの花 ハマナスの実 

 青森県、津軽について思いつくままに並べてみた。

 世界自然遺産・白神山地、またぎ、岩木山と岩木川、りんご、津軽三味線、太宰治、津軽藩、ねぷた・ねぶた、弘前と桜、しじみ・・・


 このツアーに出掛ける前は、私にとってこれらの言葉には脈絡がなかったが、実際に現地で見聞きして見るとある程度、相互のつながりがある程度見えてきた。これが旅行の目的であり、醍醐味でもあるのだろう。

 これ以上理解するためには、ここに住んでみなければならない。
 これが今回乗車した列車である。窓の右側には有名な陸奥湾が見える予定である。

 本日の宿泊ホテル「まかど観光ホテル」に移動して、本日の予定を終了した。
         8月30日
第2日目
 まかど観光ホテル」に隣接した神社。

 比較的新しい神社だったが、風格があったので記念に撮影させてもらった。後で神社の名前を地図上で調べてみたが記載されていなかった。
 第1泊目の宿泊先、「まかど観光ホテル」である。夕食は青森県の特産品のホタテやごぼうなど、地元の食材をふんだんに使った特色のあるバイキング形式の料理だった。ビールが1杯800円と高いので一杯だけで我慢したが、料理はとても美味しくお腹いっぱい食べた。

 うちに帰って体重を測ってみたら、なんと、三キログラムも増えていた。困ったもんだ。

 第2日目である。
 
 五所川原・立佞武多の館は、今日のハイライトである。私の好きな歌手吉幾三が五所川原の出身であることをバスガイドさんが教えてくれた。これで五所川原への親近感が一気に増した感じである。

これは入り口に置いてあるねぷたの模型である。

 津軽には「もっけ」という方言がある。何でも津軽人の特徴を示すもので、「新しもの好き」という意味だそうだ。

 江戸時代、上方(大阪)から「西廻り航路」を通じて、当時の時代の先端のモノや情報が津軽にもたらされていたという。西廻り航路
は、上方から瀬戸内海→関門海峡→日本海→津軽・一三湖→岩木川→弘前という海運・水運ルートである。つまり、新しいものは西廻り航路を通して津軽地方に入ってきたのである。津軽には教会や西洋建築物も多い。ある教会は土足禁止、何と畳敷きである。

 私の生まれた熊本県にも、県民性を表す「わさもん」という言葉がある。良い意味でも・悪い意味でも、やはり、「新しもの物好き」という意味である。熊本からはるか遠いところで、このような言葉を発見するとは驚きである。何でも、最新流行のファッションは、今でも博多より早く熊本に来るらしい。津軽にもそのような傾向があるのではなかろうか。

 ところで、戊申戦争時の津軽藩主「津軽承昭」は肥後藩出身である。津軽承昭は戊辰戦争の時、政府側に立ち、戊辰戦争・五稜郭の戦いに参戦したが、苦戦したため肥後藩に支援を要請、肥後藩はそれを受け、傭船のハーマン号で兄弟潘・津軽藩の支援に向かったのであるが、時の運に恵まれず、勝浦沖で難破し、200名位以上の兵・乗組員が遭難してしまった。いわゆる 「ハーマン号事件」 である。津軽藩は、私の故郷、熊本に大いに関係があるのだ。
 当、ホームページにもこの 事件の顛末 などを記載してあるので、興味のある方はアクセスください。

 ウイキペデイアによれば、「津軽承昭は、熊本藩主・細川斉護の四男として江戸に生まれ、初名は細川護明(ほそかわ もりあきら)。安政4年(1857年)6月28日、第11代弘前藩主・津軽順承の婿養子となり、その偏諱を受けて初め津軽承烈(つぐてる)と名乗り、後に承昭と改名した。 

 どのような背景があって肥後藩から津軽藩への婿養子入りがなされたのか非常に興味深い。
ちなみに、太宰治は五所川原出身である。



五所川原のねぷた (立佞武多の館)
 左は五所川原市の実物のねぷた。 なんと高さが20mもある。立佞武多の館には、実物のねぷたが二基もおかれている。 実際に点灯している姿には実に圧倒的な存在感がある。
以下、ねぷた、ねぶたについて調べてみた

 
青森のねぶた
 青森県では、8月初旬頃に行われ、大勢の市民が「ヤーレ、ヤーレ、ヤーレヤ」「ラッセ、ラッセ」「ラッセラー」「ヤーヤドー」「ヤーレ、ヤーレヤ」等の掛け声とともに、武者等を模った人型や武者絵の描かれた扇型の山車燈籠を引いて街を練り歩く。

 昔は最終日の旧暦7月7日の朝に川や海へ行き、山車燈籠や身体を洗ったり、山車燈籠を流したりしていた。

 青森市の青森ねぶた、弘前市の弘前ねぷた、五所川原市の五所川原立佞武多などが有名で、次いで黒石市の黒石ねぷた、つがる市の木造ねぶた、平川市の平川ねぷた、むつ市の大湊ネブタなどがある。

 その他、ねぶた発祥の地のひとつとされる浅虫ねぶた[1]や津軽地方、下北半島の各市町村でも行われている。

 さらに近年では、全国で地域の祭りとして広がりつつある。特に関東地方(東京周辺)では阿波踊りなどと同様、イベントの1つにねぶたを取り入れている祭りが増加している。


Wikimedia Foundation
 
弘前のねぶた

大湊のねぶた
 ここは義経寺の境内である。源頼朝に追われて蝦夷に脱出しようとする義経が立ち寄ったとされる地に建立されたお寺である。「伝説」に準拠して建てられたようであるが、伝説により建立されたお寺は他にはないのではなかろうか?

 津軽地方には「あずましい」という方言がある。「心地いい」という意味だそうだ。

 旅行中、津軽の風土には何の違和感もなかったような気がする。何か、故郷に居るような「あずましい」気分である。
 ホテル龍飛崎で昼食を摂った。写真のような海鮮弁当でなかなか綺麗でおいしかった。

 

 ホテル龍飛崎の真下を青函トンネルが走っており、列車が通過するたびにランプが点灯するようになっていた。 新幹線が走るようになると、これも点灯されるのだろうか。

 左の写真はホテルのロビーで撮影したもの。対岸は北海道のはずだがしかと見えなかった。
 龍飛崎灯台。

 龍飛埼灯台は、青森県津軽半島の竜飛崎の突端に立つ白亜円形の大型灯台。周辺は津軽国定公園に指定され、津軽海峡から北海道も望める風光明媚の地。また 日本の灯台50選 にも選ばれている。 ウィキペディアより

 龍飛崎灯台に至る坂道。左手下あたりに、駐車所・石川さゆりの歌碑・国道に指定されている階段などがある。
 「外ヶ浜町」の案内標識、見るべき地点を要領よくまとめてある。

観光スポット 外ヶ浜町公式ホームページ
 「ホテル龍飛崎」のロビーで見た同じ景色を竜飛崎の灯台の下の道路から見たものである。

 ここはまさしく石川さゆりの「津軽海峡冬景色」の舞台となった龍飛崎。今の季節は初秋であるが、これが数ヶ月もすると、寒風と地吹雪が吹きすさぶ雪景色となるのであろうが、今日は、それが想像もできないくらいの好天である。
 今回はソニーのウオークマンを持参した。同郷、熊本出身の石川さゆりの「津軽海峡冬景色」ももちろんCDからリッピング(録音)してある。

 実は、今回の旅の目的の一つが、ここ、龍飛崎で彼女の名曲を実際に聞きながら景色を鑑賞する」ことにあった。この写真はその「証拠写真」であって、実際に「津軽海峡冬景色」を聴いているときに撮ってもらった。


 今日は快晴で、冬景色とは程遠く快適な気候なので「津軽海峡冬景色」の雰囲気に浸りながら曲を聴く・・・ことはできなかったが、全てが思い通りになることは滅多にないのだからここはこれでよしとすべきであろう。
 しじみで有名な 一三湖 に架かる長い木の橋である。

 ツアーの同行者たちは名物のしじみ汁(500円)を競って食べていたが、水は濁って汚らしいので、私達夫婦はは謹んで辞退した。

 しかし、一三湖のしじみの身は千葉で食べるものの二倍くらい大きい。これも一三湖に流れ込む岩木川の滋養によるものであろう。白神山地を源流とする岩木川には、白神山地の膨大な量のブナの落ち葉から生成される植物プランクトンとこれを食料とする動物ブランクトンが大量に含まれていると思われる。一三湖のしじみはこれを食べて成長するのである。白神山地と岩木川がなければ、しじみも名産とはならなかったに違いない。

 どこでも同じであるが、一つの山系と河のもたらす恩恵は莫大で、ここでは、白神山地と岩木川が津軽地方の生活や文化を支えている。全国の生産量の 80 % にもなるりんごも岩木川のもたらす恩恵の一つだ。岩木川は昔から氾濫を繰り返しており、エジプト・ナイル河の氾濫と同じで、上流から大量の養分を含む土砂も運ばれて肥沃な津軽平野が形成された。この土はさらさとしており、水はけが良くりんごの育生に最適であったと言われる


今日の予定は以上で終了し、第2泊目となる「ナクア白神ホテル&リゾート」というホテルに移動した。
8月31日
第3日目
 第3日目である。
 本日も快晴で、早朝、撮影を兼ねて散歩した。秋空にすすきが映えていた。


 ホテル「ナクア白神ホテル&リゾート」は、岩木山の北北西方向の中腹に建てられており、岩木山の眺めがとてもよろしい。滞在中に岩木山の気のパワーを貰ったような気がした。

 若いころ、東北自動車道の青森県内を走った時、この岩木山をいつでも眺めることができた。岩木山の山容は、いつ見ても心が休まる。包容力のある山である。

 それから20年ほど経った今日は、その岩木山を反対側から見ているのである。

 この岩木山・岩木川・その源流となる白神山系が津軽や青森の生活・食材・文化などの中心軸をなしていることが今回の旅行で納得できたような気がした。
 ホテル「ナクア白神ホテル&リゾート」の正面側である。背後に岩木山がくっきりと見えている。

 ナクア白神ホテル&リゾート 公式ホームページ
 これは、JR五能線を走る 特急「リゾート白神号」 である。今、鯵ヶ沢駅に停車している。
 五能線ですれ違った普通電車である。
 ここは、「千畳敷海岸」である。特急「リゾート白神号」は海岸観光のために千畳敷駅で15分間も停車した。
 JR五能線を深浦駅で降り、バスは世界自然遺産、白神山地のビジターセンターに向かった。

 ビジターセンターに向かう途中に日本キャニオンが見えた。本家のグランドキャニオンに比べようもなく小型で、白色をしている。
 


 白神山地では、一二湖・ブナの原生林などが見どころである。


 青池である。深さ9mとのことだが、透明度が高く底まで見える。

 ここら辺から岩木川が発しており、一三湖に向かう。
 ブナの大木を見上げる。樹齢300年位だろうか
 今回は未体験だが、樹齢400年のブナの神木「マザーツリー」がこの山系にある(下記)。



 
 マザーツリー
 世界遺産白神山地は、太古の姿をそのままに残す世界でも類を見ない広大なブナの森で、世界自然遺産に登録されています。 左の写真は推定樹齢400年のブナ巨木「マザーツリー」です。

(「アソベの森 いわき荘」 ホームページより、写真も)
 「鶏頭場の池」青池の少し手前にある。
 なお、近くの深浦にある 「不老ふ死温泉」 (ここにある旅館の名前) の露天風呂から見る夕日は絶景だそうだ。一回は行ってみたいものだ。

   
 黄金色に輝く不老ふ死温泉の露天風呂
写真は 楽天トラベル からお借りしました
日本海に沈む不老不死温泉の夕日
ここ から写真をお借りしました
 
 バスは秋田県男鹿半島に移動し、半島先端の入道崎に着いた。入道崎は北緯40度線上にある。

 写真のように石で出来たモニュメントが北緯40度線上に設置してある。
 
入道崎の海岸、海は真正の日本海である。韓国が主張する「東海では絶対にない。海辺には秋のすすきがゆらいでいた。

 男鹿半島といえば「なまはげ」だろう。男鹿半島内は入道崎以外はバスでの移動だけだが、道すがら目につくのはなまはげ一色といった感じである。この「半島文化」は誇るべき文化で、将来とも大事に維持して欲しいものである。
入道崎灯台、日本灯台50選の1つ。白と黒のパターンに特徴がある。

入道崎海岸の岩場。



今回の旅行はこれで終わった。秋田空港に向かう途中、八郎潟町の田んぼをじっくり鑑賞した。

(地図はクリックして拡大できます

 
 2014年8月29日~31日の3日間、家内に誘われて本州最北端を巡るツアーに参加した。青森を起点として、八幡平などをドライブしたことはあるが、下北半島・津軽半島・龍飛崎・男鹿半島はこの歳になってもまだ未踏の地である。

 家内の誘いを受けて旅に参加することにしたが、。とても印象深い旅行となった。同じ日本でも、北端となると、作物や景色も住んでいるところ(千葉)や田舎の実家(熊本)と違っている。五所川原のねぷたなどを見ると、文化的にも違った面があるように感じた。  青森県、津軽について思いつくままに並べてみると、
 世界自然遺産・白神山地、またぎ、岩木山と岩木川、りんご、津軽三味線、太宰治、津軽藩、ねぷた・ねぶた、弘前と桜、しじみ・・・
 このツアーに出掛ける前は、私にとってこれらの言葉には脈絡がなかったが、実際に現地で見聞きして見るとある程度、相互のつながりが見えてきた。これが旅行の目的であり、醍醐味でもあるのだろう。

 秋田から遠征してきたバス・運転手・ツアーガイド、添乗員・同行者は皆さんいい人たちで、お陰様で、”あずましい” 気分で旅行を満喫することができた。「あずましい 」は、津軽地方の方言で、「心地いい」という意味。