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    「大谷山荘」と萩・宮島への旅 2017年8月制作

須佐ホルンフェルス

角島大橋

別府弁天池の湧水

元乃隅稲成神社

大谷山荘

秋芳洞・黄金柱

青海島遊覧船
 ルートマップ

 ツアー日程 (2017年8月6日~8日)  
=== 初日 ===
羽田空港(9:55 集合 10:55 ANA575便発、約15分遅れ)

萩・石見空港(12:15) 現地添乗員が空港ロビーで待機
=[絶景1]○須佐ホルンフェルス(約25分)
=[絶景2]○明神池(約20分)
=★萩焼会館(焼物のお買い物/約20分)
=○松陰神社
=○松下村塾(伊藤博文・高杉晋作らを輩出/松陰神社と合わせて約30分)
=○萩城下町(約40分)
=萩温泉郷 「北門屋敷」 <泊/18:00頃着>
   【バス走行距離:約70km】
 
=== 第2日 ===
「北門屋敷」(8:00発)

=[絶景3]○別府弁天池(約30分)
 
■遠回りながら風光明媚な「秋吉台スカイライン」に経路変更
=[絶景4]○秋吉台カルスト展望台(総面積130キロ平方メートルを誇る日本最大のカルスト台地/約20分)
=[絶景5]◎秋芳洞(特別天然記念物/約60分)
=[絶景6]○角島大橋(絶景・角島大橋・海上ドライブ/約20分)
=[絶景7]○元乃隅稲成神社(約30分)
=[絶景8]▲青海島遊覧船(約50分)
=湯本温泉「大谷山荘」<泊/17:00頃着>
   【バス走行距離:約163km】
=== 第3日 ===
「大谷山荘」(8:30発)

=宮島口
=<宮島フェリー(約10分)>
=宮島桟橋
=○安芸の宮島(宮島観光と昼食時間を合わせて約120分)
=[絶景10]世界遺産◎厳島神社
=宮島桟橋
=<宮島フェリー(約10分)>
=宮島口
=[絶景9]◎錦帯橋(約40分)
岩国錦帯橋空港(17:45発 ANA638便、約10分遅れ)
=羽田空港(19:25 着)
   【バス走行距離:約190km】

 2017年8月6日~8日の3日間、今回も家内の誘いに乗って、阪急交通主催の「大谷山荘と北門屋敷に泊まる一生に一度は目にしたい10の絶景と萩・宮島の旅 3日間というツアーに参加した。

 中国地方は私達が住む千葉市からは結構遠く感じ、気楽にそちらに旅行するチャンスも殆どなかった。今から50年以上も前の学生時代、帰省を兼ねて秋吉台・秋芳洞に立ち寄った記憶しかない。最近出不精の傾向がなきにしもあらずだが、今回は次のような理由で奥様の誘いに乗ることにした。

 
中国地方に行けるこの機会を逃したくない。
 
日ロ首脳会談 が行われた「大谷山荘」に泊まりたい。
 北門屋敷」という一流旅館にも興味がある。
 ●
角島大橋」の動画・静止画を撮ってみたい。
 ● 「元乃隅稲成神社敷」(もとのすみいなりじんじゃ)の風景も気になる。
 
「秋吉台・秋芳洞」をもう一度訪ねたい。

 「大谷山荘」にはロシアのプーチン首相一行が泊まったわけだが、サミットを始めとする世界的な会議が行われたところの国内のホテルには一応全部泊まっているので、今回も是非・・というわけである。沖縄のホテル「ブセナテラス」、洞爺湖の「ウインザーホテル」(このサイトで紹介)、伊勢志摩の「志摩観光ホテル」がその舞台だった。

 大谷山荘では、プーチン首相が泊まった「560号室」も訪ねてみた。入り口で阻止されて部屋は見ることができなかったが、一応、証拠写真だけは撮ってきたのであとでご紹介したい。

 今回の旅行の目的の一つは撮影である。今回、ホームページの題材にもしたいので、フルセットの機材も持参。CANON EOS5D mk2、超広角レンズ(17~40mm)、24~120mm 標準ズーム、70~200mm 望遠ズーム、 携帯三脚(アマゾン)レンズホルダー 、スマートフォン(動画用)の全財産をリュックサックに納めた。これで結構重い。旅行中はレンズ交換、スマホの動画撮影・・と大忙しだった。動画は、おおむね結果が思わしくなかったが、元乃隅稲成神社青海島遊覧船角島大橋錦帯橋 で動画を試みた。

 旅行中の天気予報では、「台風5号が旅行先を直撃する」だったのでやきもきしたが、当日に近づくにつれ尻上がりに好調となり、旅行中は雨もふらず、風もなく、多くの訪問先では晴れていた。前日、阪急旅行社に状況を問い合わせると、「とりあえず羽田空港に来てください、飛行機が飛ばないときは旅行中止、旅行代金はお返しします・・」という回答であった。

 旅行先の萩市の気温は、台風5号によるフェーン現象のために 38.3℃ となり、当日の国内最高記録をマークしたそうだ。萩城下町をまわる途中がちょうどその気温だったようで、熱いとは思ったが熱中症で死ななくて済んだ。したがってその夜のビールは格別で本当に生き返った気がした。残念ながらこの地区のホテル(2軒とも)は生ビールを置いておらず瓶のラガービールだった、が、これはこれでいけると思った。

 秋吉台を除き、あとは全部初訪問地だったから旅行中は飽きることがなく、添乗員さんを始め、バスガイドさん・ドライバーさん、そして、総員22名の参加者も気持ちのいい 人たちばかりだったから、旅が楽しくない筈がない。バス内も2席を独り占めだった。添乗員さんの差配は過不足がなく的確で、ガイドさんは博識、良く勉強されていた。話もうまく全行程で飽きることがなかった。運転手さんはベテランで安全運転、客への対応もうまかった。

 人によって当然違うと思うが、私の場合、訪問先で最も印象強いのは青海島遊覧船元乃隅稲成神社、角島大橋といったところかな・・

須佐ホルンフェルス (2017年8月6日  写真類は注記以外は実写による (以下同)

須佐ホルンフェルス
 
須佐ホルンフェルス・入り口
  搭乗トラブルのため、ANA575便は約15分遅れで羽田空港を離陸、快晴の石見空港に着陸した。機体は初体験のエヤバス機。空港には「広島勤務」の添乗員さんがロビーで我々を待っていてくれた。今回の参加者22名は直ちに用意されたバスに乗り込んだ。大型バスだから、1名が2席を専有でき、3日間の移動距離423km以上を快適に過ごすことができた。

 最初の目的地は「須佐ホルンフェルス」という珍しい奇岩である。ホルンフェルスとはドイツ語の学術用語で変成岩の一種を意味するそうである。もうちょっとマシな名称はなかったのかしら? というのが正直な感想。
  萩市公式観光サイトによれば、「須佐ホルンフェルス」について以下のように説明している。

 
地殻変動によりマグマの熱の影響を受けて1400万年前に誕生した須佐ホルンフェルス。砂岩や頁岩層からなる須佐層群が堆積したあと、その中に高温の火成岩体(高山はんれい岩)が貫入し、その熱の影響を受けてできたものです。灰白色と黒色の縞模様をなす雄大な様子は、数ある須佐湾の景勝の内でも最たるもので、上面は畳が千枚敷けるというほどの広さをもっています。2007年 日本地質学会が提唱し選定する「日本の地質百選」に選ばれました。また「21世紀に残す日本の風景遺産100選」に選ばれています。

明神池 (2017年8月6日  

明神池
 萩市公式観光サイト からお借りした以下の説明文を紹介したい。

 
笠山の東麓にあり、その昔笠山と本土との間に砂州ができて陸続きになった時、埋め残されてできた池が明神池です。大池、中の池、奥の池の三部分からなり、池は溶岩塊の隙間を通して外海とつながっており、潮の干満が見られます。貞享3年(1686)萩藩2代藩主毛利綱広が、毛利元就が信仰していた安芸の厳島明神を勧請して分岐、これにちなんで明神池と呼ばれるようになりました。地元の漁師たちが漁の安全と豊漁を祈願して奉納した魚が繁殖し、マダイ、イシダイ、ボラ、エイ、コチ、スズキなど池の中には様々な近海の磯付き魚が泳ぎ、天然の水族館とも呼ばれます。

 池の北側に弁財天が祀られていることから、昔は弁天池、また、藩主の茶室が建てられていたことから、御茶屋の池とも呼ばれていました。周囲は玄武岩の溶岩が積み重なり、老樹が生い茂る景勝地です。


 ここの厳島神社の裏側、歩いて10分位の距離に風穴があるそうだ。時間的な理由で訪問できなかったが、風穴は坂上にあるらしく坂道の上から降りてくる風穴の涼風を肌で感じ取った。
松陰神社(しょういんじんじゃ) (2017年8月6日   

松陰神社
  松陰神社・松下村塾には是非訪れてみたいと以前から思っていた。

 加えて、3人の孫達のお土産には何が良かろうか・・ と孫の父親に相談した所、「いつもお菓子類が多いからたまには違うものを・・、例えば松陰神社の鉛筆セットなどはどうだろうか?」という返事を貰ったものだから、松陰神社についたら真っ先にお土産屋に向かい、約束のものを3セット調達した。

 最近の旅行では、自分たちのものより孫達が歓びそうなものばかり買ってはプレゼントすることが多いことに気がついた。今回もそうなりそうである。実は、鉛筆以外に、萩市特産の夏みかんを使った現地バージョンの「ハイチュウ」も買ってしまった。3人の孫達が大好きなキャラメルの「ハイチュウ」は各地バージョンがたまに見つかるので重宝している。
 
 私は日本の将来を憂える者の一人だが、最近の立法・司法・行政の劣化、国民の倫理観の低下などの傾向は実に嘆かわしい。平気で嘘をつき「私の責任・・」と云いながら責任を取らない口先だけの政治家、責任をできるだけ回避しようとする官僚、正義を実行できない検察・裁判官などを多く見かける時、松下村塾の精神の必要性を感じる。松下村塾の門下生たちは、高い理想・倫理観、使命感と責任感をもっていたからだ。私個人では何にもできないに等しいが、多数の日本人がこの気持を持つことができれば今の日本を正すことができるかもしれない・・ここにきてそんな気持ちを新たにした。


 松下村塾(しょうかそんじゅく) (2017年8月6日  

松下村塾

松下村塾の偉人の額
 松陰神社の中で印象が深いのはやはり「松下村塾」である。

 左の写真のように、こんな小さい一軒家で、松陰をリーダーとして日本の将来方向を決定づける思想家・政治家・指導者・教育者などの偉人を多数輩出したことに感動した。まさに「奇跡の私塾」である。

 門下生は多数にわたるが、松下村塾の四天王と言われる(久坂玄瑞、高杉晋作、吉田稔麿、入江九一)、伊藤博文、山縣有朋 などがいる。彼らは高い理想・倫理観、使命感と責任感をもっていた。


講義室に掲げられた上の肖像画は、松下村塾ゆかりの人物で、左上から順に・・・
 久坂玄瑞(塾生)、高杉晋作(塾生)、松陰先生、前原一誠(塾生)、木戸孝允(門下生)、山田顕義(塾生)、品川弥二郎(塾生)、野村靖(塾生)、山県有朋(塾生)、伊藤博文(塾生)、境二郎(塾生)、飯田吉次郎(塾生)、河北義次郎(塾生)

WikiPedi
a では、松下村塾のことを次のように紹介している。
 松下村塾は、江戸時代末期(幕末)に、長州萩城下の松本村(現在の山口県萩市)に存在した私塾である。吉田松陰が同塾で指導した短い時期の塾生の中から、幕末より明治期の日本を主導した人材を多く輩出したことで知られる。
29歳で刑死した松陰はじめ、本塾の塾生の多くが幕末の動乱期に若くして死んだ。また維新後にも多くの門下生が萩の乱に参加して刑死し、創設者の玉木文之進も責任を取る形で切腹死している。しかし生き残った多くの卒業生が師や先輩の遺志を継ぎ、幕末の動乱を経て成立した明治新政府の首脳となり、近代日本国家の基礎を築いた。


 萩城下町(2017年8月6日  

菊屋家住宅のなまこ壁(重要文化財)

夫婦記念撮影
(高杉晋作像の前)
 萩市の中級武家屋敷、高級武家屋敷を散策した。折しも、歩いている時間帯は、台風5号のフェーン現象の結果、気温が上がり38.3℃を記録したそうだ。当日の日本国内記録だった。左の写真はで藩の御用達を勤めた豪商・菊屋家の住宅の裏側である。入場料を払って屋敷内をガイド付きで見学。

 以下は、萩市観光協会公式ホームページ 「菊屋家屋敷}の説明
 この屋敷は幕府巡見使の宿として度々本陣にあてられました。屋敷は江戸初期の建築、現存する商家としては最古の部類に属し、400年の歴史があります。藩の御用商人・菊屋家は、大内氏時代には武士であったが、毛利輝元公萩城築城の際には有力町人として萩に入り、町づくりに力を尽くしました。
 主屋、本蔵、金蔵、米蔵、釜場の5棟が国指定重要文化財に指定され、約2000坪の敷地の約3分の1が現在公開されてます。すばらしい庭や美術品、民具、古書籍など貴重な資料が数多く展示されており、往時の御用商人の暮らしぶりが偲ばれます。【 国指定重要文化財(主屋、本蔵、金蔵、米蔵、釜場)】

 近くの公園に高杉晋作の立像があったので、今回の旅のスポンサー家内と記念撮影。


北門屋敷 (2017年8月6日、第1泊目  

北門屋敷・玄関口
 
北門屋敷の門 (旅館入り口)
 
北門屋敷の中庭
 
北門屋敷の夕食膳
 
 北門屋敷は、萩城からほど近い場所で臣達が居を構えた萩城三ノ丸の毛利一門・吉敷毛利家屋敷跡に建っている。武家屋敷の風格が感じられる旅館である。入り口には門構えがあり、入ると普通の旅館にはない重厚さが感じられる。板張りだが底を歩いてもミシリと音もしない。中庭も素晴らしかった。近くの武家屋敷を歩いてみたが、敷地の広大さにも驚かされた。敷地55坪の我が家とは比ぶべくもない。従業員の接客も洗練されていた。

 夕食は品数は多くなかったが、量的な不満は感じない。それぞれの食材も吟味されている。特に、形の良い鯛のあら炊きは絶品だった。サッと煮ており、煮込んでいないので身がプリンとした感じであるにもかかわらず、程よい甘からの下味が良く染みておりプロの技を感じた。なかなか真似のできない料理である。

鯛のあら炊き 
秋吉台カルスト展望台(あきよしだい) (2017年8月7日  

秋吉台カルスト展望台

秋吉台スカイラインより見たカルスト台地
 52年ぶりの訪問である。秋吉台カルスト台地のイメージは昔と変わっていなかった。
 「バスのドライバーのはからい」で、通常のルートより時間が掛かる「旧・秋吉台スカイライン」経由で展望台に向かった。このルートは以前は有料道路だったそうで、カルスト地形が堪能できるルートだそうだ。今回のメンバーのマナーも良く、常に集合時刻前に乗り終わるのでお礼の意味も込めてこの提案をしたそうだ。乗員全員が拍手でもってこの提案に感謝。このコースを含めてガイドさんの説明も良かった。内容もよく理解でき、旅行の楽しさが深まった感じである。
  展望台名物の「夏みかんソフトクリーム(写真)」がガイドさんのおすすめ。これを食べたら、すぐ秋芳洞に移動。展望台は強風で、やや肌寒いくらい。
  
 秋芳洞(あきよしどう) (2017年8月7日  

秋芳洞・黄金柱


秋芳洞・出口 (下側の入り口)
 秋芳洞(あきよしどう)の内部は、14度程度と寒いくらいだが、湿度は100%だからむしろ、蒸し暑いくらいである。

 洞窟内は薄暗く、足元を良く見て歩かないといけない。旅慣れた私の奥様はちゃんと懐中電灯を持参していた。偉い。

 コースには、上の入り口から入るものと、下から入る方法の2種類がある。普通は、下の入り口から入り道を登りながら鑑賞するのであるが、阪急交通さんは、年寄りの多い我がグループに配慮してくれたのだろうが、上の入り口から入る下り道コースを提供してくれた。坂道は結構な急坂だからとても有り難い。

 52年前の学生時代に来たときは、確か下の入口から入ったような記憶がある。

 洞窟内の名所にはすべて名前がついている。青天井、百枚皿、広庭(洞内富士)、千町田、傘づくし、千畳敷、黄金柱、巌窟王、くらげの滝のぼり、竜の抜け穴、五月雨御殿 といったところが代表的な名所である。洞窟内は目が慣れてくるのでそれほど暗さを感じなくなるが、撮影を試みるとカメラは正直に「暗すぎて撮れません」と反応する。
 フルサイズの一眼レフの場合、感度を限度近く(ISO 6,500)まで高く設定して何とか見れる程度の写真を取ることができた。スマホでも撮影したが、何もしなくてもある程度のものが撮れる。最近のスマートフォンの技術進歩には凄まじいものがあることを実感した。


 冒頭に張ったリンクはカルスト・ドットコム」サイト」。ここでは秋芳洞について以下のように紹介している。

 秋芳洞は、秋吉台の南側のふもとにある広谷ポリエの奥に、ぽっかりと口をあけた日本屈指の大鍾乳洞です。古くから地元の人々に瀧穴と呼ばれ、知られていました。明治40年頃より、イギリス人のエドワード・ガントレット氏により洞内の探検や調査がおこなわれ、初めて海外に紹介されました。瀧穴は大正11年3月には国の天然記念物に指定され、今まで大切にまもられてきました。また、大正15年5月、昭和天皇行幸の際ご覧になり、「秋芳洞(あきよしどう)」という新しい名前を賜りました。」

 洞窟の観光(鑑賞)を終えて外に出ると眩しいばかりの景色が目に染みた(上の右側の写真)。52年前の最初の訪問時の感動が蘇った気がした。


秋芳洞・百枚皿
 角島大橋(つのしまおおはし)(2017年8月7日  

角島大橋

「山口・角島大橋
ドラレコ映像2017 4 2」
 Wikipedia によると、角島大橋(つのしまおおはし)は、1993年(平成5年)9月6日に着工し、2000年(平成12年)11月3日に開通した。総工費149億円。山口県道276号角島神田線の一部。かつて、角島へは渡船による交通が主であったが、完成により陸路でつながった。当初は(県道ではなく)豊北町道として建設された(過疎代行道路整備事業として山口県が発注)こともあり、道路構造令の第三種第四級で設計が行われた。 このため、最高速度は40 km/hに制限されており、強風時には一般車両が通行止めになる。
 
  角島大橋は、北長門海岸国定公園内に位置することから、橋脚の高さを押さえ、周囲の景観に配慮した構造となっている。また、架橋ルートの選定にあたっては、本土と角島の中間に位置する鳩島に橋脚を建設する案も検討されたが、自然景観保護の観点から島を迂回する現在のルートが採用された。このような取り組みが評価され、2003年(平成15年)には「土木学会デザイン賞2003」の優秀賞を受賞している。完成後はその景観から山口県の新たな観光名所となっている。テレビCM、特に自動車のCM(レクサス・GS450h、三菱・ギャランフォルティス、スズキ・スイフトなど)のロケ地として多く採用されている。

 天気は晴れ、青く透き通った海の色を見ながら、我々は角島大橋のドライブを満喫した。バスの中から動画を試みたが失敗、代わりにYouTube で素晴らしい上記の動画を発見した。高精細画面のドライブレコーダーで撮影したもので、当日の感動を思い起こさせる内容なので鑑賞のほどを・・


 元乃隅稲成神社(もとのすみいなりじんじゃ)(2017年8月7日 

元乃隅稲成神社
(もとのすみいなりじんじゃ)

元乃隅稲成神社
下側入り口

「元乃隅稲成神社
鳥居回廊を登る」 〔実写)
 

 

「投入困難賽銭箱」 

 元乃隅稲荷神社はインターネット時代の申し子なのかもしれない。米国のCNNが「日本の最も美しい場所31選」に選んだことから始まるらしい。 その後SNSを中心に拡散され一躍山口県の人気観光スポットになった。 東南アジアからの観光客にも有名で、リピーターも多いとか・・上の動画「元乃隅稲荷神社稲荷回廊を登る」」は私の実写によるものである。・・回廊というタイトルは私が勝手に名付けたもの。多くの人たちが願をかけてこの回廊をお百度参りしたものだろう。バスガイドさんによると稲荷の数は123本ある。寄進料1本が2万6千円とのこと。意外に安い。
日本一(つまり世界一)入れ難いお賽銭箱があった。わたしも試したが、10回位投げても一回も成功しなかった。上右の YouTube 動画の途中に、お賽銭を投げ上げる様子が写っているので御覧ください。同じバスの仲間は数名が成功、1名が、何と1回で入ったそうだ。  


 青海島遊覧船(おおみじま) (2017年8月7日  

青海島黄金洞 (夫婦洞)【日本の渚100選】

「青海島観光汽船」

「船後尾より青海大橋を見る」

「黄金洞へのコースマップ」

青海島クルージング
黄金洞コース
(実写)
 

「青海島観光汽船動画」 
 このビデオは「青海島観光汽船会社」が制作した公式ビデオで各種のクルーズ・コースを紹介している。今回行けなかった洞窟内を船で抜ける「観音堂コースなどもあり楽しめる映像である。
 長門市・青海島はかって捕鯨業が盛んだった。町には「くじら資料館」もある。今は「海上アルプス」と言われる島巡りクルーズが有名である。 我々が乗船した「青海島観光汽船」〔上の写真)は、船体がクジラの形をしていて窓は締め切りの防水仕様。跳ね上げた先頭のハッチから乗船する方式。島の北側は外洋の日本海だからきっと波も荒いのだろう。今日のコースも「観音洞」まで行かず、手前の黄金洞で引き返す短縮コースとなったのは、今日はうねりが強いためではなかろうかと思った。それまで就航中止となっていて、直前に「就航開始」の連絡があったということなので、「我々のパーテイーは、ゆく先々で天候などの幸運に恵まれている」(ガイドさん)ようでラッキーな旅であった。クルーズが終わると、くじらのショーがあり、船体からクジラの噴水を2回吹き上げる。子どもたちにもきとっと評判が良いにちがいない。とにかく楽しくインパクトの強いクルーズであることは保証する。

 私が撮影した上のビデオ「青海島クルージング黄金洞コース」は苦労した。黄金洞付近は外洋になっているので波が荒く撮影中、体の安定維持が難しかった。四国付近を通過中の台風5号の影響なのか、外洋はうねりがひどかった。しかも、操作ミスで「コマ落としモード」になってしまい編集で何とか見られるようになるまで時間がかかった。出来上がりは逆に強い揺れが実感でき、見るのに疲れそうだが印象が強い映像になった・・と思う。




青海島海岸の奇岩 【日本の渚100選】
 「金子みすゞ」について (2017年8月7日   

長門市が産んだ詩人「金子みすゞ」の記念碑
(青海島観光汽船の船着き場近く)
 海島観光のために長門市を移動中、ガイドさんが「金子みすず」 のことを詳しく話してくれた。観光とは別の話題になるが、話に感動したので、この項を設けることにした。

   
「青いお空のそこふかく、・・見えぬものでもあるんだよ。」

 私はテレビを余り見ないが、テレビのCMの中で紹介されるこの1節は知っていた。ガイドさんの説明で、これが金子みすゞの作品「星とたんぽぽ」の中の1節であることを聞いて俄然興味が湧いた。 次に、作品「わたしと小鳥と鈴と」の中の下記の1節には強く心をうたれた。

  
「鈴と、小鳥と、それからわたし、 みんなちがって、みんないい。」

 私は学生時代、高村光太郎の作品の影響を受けて「誌みたいな文章」を書きなぐったこともあった。私の住む千葉市に近い大網白里町・九十九里海岸には、彼の妻「千恵子」と一緒に住んだ家があり、記念碑も建ってい」る。「千鳥と遊ぶ千恵子」という作品が書かれたのもこの地だった。千恵子が心を病んでいた頃の作品である。
 上の金子みすゞの作品は、世界の本質を捉えた素晴らしい句だと私は思った。「人・動植物・物・・すべてには個性があり、外見は違っていてもそれらが全体として調和していて、存在自体に価値がある」と主張しているようだ。

 
ネットで 金子みすゞ の略歴などを調べてみた。[モチベーションアップの法則]というサイトでうまく纒めておられるので引用させていただいた。このサイトでは彼女の代表作も紹介されているのでご覧いただきたい。

金子みすず (略歴)
(大正時代末期から昭和時代初期にかけて活躍した日本の童謡詩人)
1903年4月11日-1930年3月10日。山口の生まれ。10代半ばから詩を作り、同県下関市に移り住んだ20歳ごろから雑誌に詩を投稿するようになる。26歳で自ら命を絶った。代表作は「私と小鳥と鈴と」「大漁」「こだまでしょうか」など。
自然とともに生き、小さな命を慈しむ思い、命なきものへの優しいまなざしが、金子みすゞの詩集の原点と言われる



 大谷山荘 (2017年8月7日、第2泊目  

大谷山荘

大谷山荘の夕食

夕食のお品書き
 私もこのとき初めてその名を知った次第だが、何と言っても大谷山荘を有名にしたのは2016年12月に行われた「日ロ首脳会談だろう。

 バスガイドさんによれば、非常に警備のしにくい旅館であるため、全国から集められた多数の警官が配備されたそうで、長門市の宿泊施設は警官を含む関係者で満杯だったそうである。
 旅館の売店のスタッフに「プーチンさんを見ましたか?」と聞いたら、「警備が大変で身動きできなくて、売店内から出るな・・と言われたのでとうとう会えませんでした・・」とのこと。そのスタッフに、「彼が好きなお酒はどれか」と訊ねたら、「3つあったが、その内の1つがそこの赤い箱の焼酎でした」と答えてくれた。

 プーチン首相の部屋は最上階5階の560号室だったそうだ。最初は別のスイートルームを取ってあったが、ロシア側の警備チームの判断で、急遽、560号室に変更になったので、それはそれで大変だったらしい。(バスガイドさん) 私も当然のように560号室に行ってみた。

 夕食は期待以上の豪華さで、下関にも近いので「ふぐの薄造り」も含まれていた。仙崎漁港の鯛、マグロのお造りは最上級品だと感じた。和牛のしゃぶしゃぶも絶品「杉板奉書焼き」という焼き物は、甘鯛の西京漬けで美味しい。先の売店にもちゃんと置いてあった。
 料理は美しく器に盛られ、その器もそれぞれの料理が引き立つように吟味されたものであることが解った。私も多少は料理を作る(「料理」)が、食材にはぴんからきりまであり、大谷山荘で使われている食材は最上級レベルのものであると感じた。「ビールは主役ではなく食材の一部である」と思っているが、今夕は料理が美味しいのでビールは2本もお代わりしてしまった。翌朝のチェックアウトではむろん自腹で1,800円の支払い・・

 自宅では、いろいろな漬物をつまみにして、毎晩、発泡泡を少量嗜んでいる。ほかの料理は満点だが、大谷山荘の漬物には不満が残った。名旅館レベルの夕食では、一般に、漬物にも手を抜かない。たかが漬物だがされど漬物なのである。私は大の漬物好きである。私の漬物嗜好については、当サイトの別のページ 「漬物三昧」で紹介しているのでお暇があればご覧頂きたい。今日出た漬物は単なる「お新香」である。というより、地方全体にいわゆる「漬物文化」がないのかもしれないと感じた。

 旅館の設備、お風呂、スタッフの対応、清潔感などの点でも最高であった。チャンスがあればもう一度訪れたい名旅館である。



プーチン首相が泊まった
560号室
国宝 厳島神社(いつくしまじんじゃ) (2017年8月8日 

国宝「廻廊」にて
 
フェリーから厳島神社への接岸
 
遠くに厳島神社の鳥居を望む
 
JR宮島フェリー
 
境内の鹿


 厳島神社も私には初めての訪問である。お土産のもみじ饅頭などはしょっちゅう頂くので何回も行った気分になっていたが、これが良く考えてみたら初訪問だ。よく考えなくてもすぐわかることではないか、認知症だよ・・と冷やかされそうな話だ。実は、このホームページを書いているのは、1つは、認知症になることへの準備なのである。

 宮島からの帰りのフェリーで米国の若者と相席になった。77歳にして初訪問だ・・と話したら向こうもびっくりしていた。9月から法律事務所で弁護士として卒業後の初仕事をするそうで、ぜひ成功してほしいと思う。その日夕刻から神事としての管弦楽演奏会があるそうで、再び、島に戻る積もりだとも話していた。チャンスが有れば私も是非見聴きしたいと思った。外人と話すのは20年振りなので最初心配だったが会話はうまく行ったので安心した。


生もみじ饅頭
 
 もみじ饅頭の1種として新しい味「生もみじ饅頭」が誕生した。バラ売りを買って試食してみたが、非常にモチモチ感が強くより香ばしい。作りたてだったのが香ばしい理由かも・・ バスガイドさんが「山陽道 下松サービスエリアでしか売っていない」と言うので、ほとんど全員購入、中にはおみやげとして9箱も買ったメンバーもいた。すごい。私達も孫達へのおみやげとして買ったことは言うまでもなし。先方からも美味しかったとのレスポンスあり。



厳島神社の鳥居
 錦帯橋 (2017年8月8日 

錦帯橋 
 

錦帯橋 (反対側より)
  
 このビデオは錦帯橋を歩きながら撮ったものです。少し揺れるのは橋に段差があり、足許が不安定な所為です。見ていて少々疲れますが刻々変わる周りの景色を楽しむのもよろしいかと・・
 錦帯橋を見るのは実はこれが「生まれて」初めて・・ 現在、77歳の私ですが、まだまだやることがありそうだイメージに違わぬ壮大な建造物を見ることができて満足。 どうしてこのような橋の形になったのか? 不思議に思っていたので調べてみてた。答えは下記のリンク先にあった。「それまで幾度となく橋が流出していたがそのたびに改修を重ね現在の形になり、世界に類を見ない「錦帯橋式アーチ構造」が出来上がった。(日本歴史旅行協会



 橋を渡りきると、「佐々木小次郎」・「宮本武蔵」という名物店が2つあった。1つは佐々木小次郎さんでアイスクリーム屋さん。何と100種類の味を揃えていた。若者たちが大勢群がっており、店には活気があった。武蔵の方はラーメン屋さんで、この店にも活気がある。山口には、人とは同じことはしない・・という気風ががありそうだ。
 錦帯橋をもってこの旅は終わる。今回は山口県内を駆け足で実地体験する絶好の機会となった。以下、雑感を述べてこの紀行文を終わりたい。

 見知らぬ土地を見る視点は人様々だろうが、私の場合、つぎのような視点で旅行を楽しむことが多い。

     
土地独特の文化(気質やお祭りなど)を知ること。
     土地は経済的に豊かであるか。
     
土地独特の料理を楽しむ。殊に漬物には執着心がある。
     
名産品・孫達へのお土産を買う。
     方言を楽しむ。
     土地独特の風景を撮影すること。

 山口県(長州)は多くの指導者を輩出しており、首相に至っては初代総理大臣である伊藤博文を始め、山県有朋、桂 太郎、寺内正毅、田中義一、岸 信介、佐藤栄作、安倍晋三、以上8人の宰相を生み出した異例の地域である。当初は、明治政府を創立した人材とその人脈を中心にした総理大臣が多かったが、近年でもその数が多いのは、恐らく、若者にはトップを指向する精神的な風土が育まれているのだろう。(「山口を知ろう」サイト」を参考にさせていただいた)

 旅行の移動中、山口県内の道路をときどきチェックしてみたが、幹線は見事な舗装や道路づくりが行われていることは当然として、田舎道、例えば、山道やあぜ道辺りまでやり過ぎではないかと思うほどしっかりと舗装・整備が行われていた。昔のことだが、自転車で九州各地をサイクリング旅行したことがあるが、県境で走りやすさが愕然と変わる(例:舗装道路➡砂利道)経験をしたことがある。そういう観点から見て山口県の道路環境(道路建造・舗装・補修)はトップレベルではないか?

 町中ではシャッター通りの有無をチェックしたが、シャッターを閉じたお店はあるにはあるが他県に比べたら少ない印象だ。家構えや佇まいも立派で見栄えがする。オレンジ色の光沢がある石州瓦のせいかもしれない。石州瓦は島根県の石見(いわみ)地方で生産されている瓦だそうだ。

 総じて山口県は独特の風土があることを感じた。経済的にも豊かなのだろう。  〔以上)